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zoom RSS 犯人が保護者の会長でも落ち着いて!

<<   作成日時 : 2017/04/14 10:09   >>

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 「ふだんは〜」という言葉は、リッパな法治人が犯罪を犯した場合の枕詞になっている。
一般にはこの枕詞がつくと、いかにも意外な感じが強調されるわけだ。
「ふだん」とは、平常、平素の意。
つまり、いちばん自然な状態という意味だ。
であるなら、教師でもPTA会長でも警察官でも裁判官でも芸能人でもない、ひとりの人間としての彼らこそを「ふだん」というべきなのだ。
 
 ユングによれば、人は、だれでも社会で生きるための表向きの人格をもっている。
 ユングは、この表向きの人格を「ペルソナ」と名づけた。
「ペルソナ」とは、古代ギリシアの役者が被った仮面のことで、広告マンは広告マンの仮面、スーパーの店長は店長の仮面、セールスレディはセールスレディの仮面を、それぞれ被って社会生活をおくつている。
しかし、それらの仮面は、職務を離れてまでも被りつづけているわけではない。

 営業マンが酔ってハメをはずしても、スーパーの店長が路上でケンカをしても、セールスレディが不倫に走っても、それが事件に発過しないかぎりは、なんのおとがめもない。
しかし、そのいっぽうで、世間には「ペルソナ」を被りつづけていなければならない職業というものもある。
教師であれば教師としてふるまわなければならず、警察官ならば警察官としてふるまわなければならない。
「ふるまう」というのは、教師や警察官としての務めを果たせばいいということではなく、マジメ、誠実といった、その職業のキャラクターとして定められた「人格」を演じつづける必要がある。
それは高校生でもあるのだろう。

  「ふだん」の姿が酒乱であってもヘンタイ性欲者であっても、マジメな警察官、誠実で優しい教師の、面白い芸人の仮面は被りつづけなければならない。
当然、素顔と仮面のギャップが大きいほど、ストレスはたまるいっぽうとなる。
彼らの犯す犯罪とは、そのストレスが爆発した姿にほかならない。
だから「ふだんはマジメな警察官が、酒に酔って暴力沙汰を起こしてしまった」という言い回しは、正しくは「ふだんは酒乱の警察官が、ついつい酒を飲みすぎたため、マジメの仮面をはずして暴力沙汰に走ってしまった」
「ふだんは誠実で優しい教師が、生徒に淫らな行為をはたらいた」は「ふだんからロリコン変態性欲者の教師がちょっとぐらい大丈夫だろうと我慢しきれなくなって生徒に淫らな行為をした」
「ふだんは上品なお金持ちの夫人が万引きをした」は、「ふだんからストレスがたまっていたお金持ちの夫人が、無意識のうちにストレスを解消しょうとして万引きをした」
というようにいいかえるべきなのである。

 とはいえ、人が何者かであるためには、よそおうという行為が欠かせないのは事実だ。

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